寛容になれない屁理屈太郎

apkz2004-02-24


なんと言ふか、その、「書いてはいけないこと」と云ふのがあるやうな気がしてゐる。一般論ではなく、非常に個人的な、屁理屈太郎だけの世界の話だけど。ウェブを徘徊してると、この「(屁理屈太郎の考へる)書いてはいけないこと」を書いてゐるサイトがあつたりする。

さうすると、屁理屈太郎の中で、そのサイトの評価が少しだけ、カタンと小さな音をたてて、落ちる。確実に落ちる。

この落ちた分は、屁理屈太郎の中では、決して挽回されることはない。ほんの少しなんだけど、ずつと消えない。他の部分がどんなに優れてゐても、落ちた分のマイナス評価が相殺されることはない。屁理屈太郎は何かの拍子にふと「ああ、さういへばこのサイト、以前『(屁理屈太郎の考へる)書いてはいけないこと』を書いてたなあ」とか思ひ出す。

自分でも、「もつと寛容になるべき」とか「欠点を責めても何も生まれない」とか思ふ。

でも、それでもやつぱり、「書いてはいけないこと」は、あるんぢやないかと感じてゐる。屁理屈太郎の中には、これからもずつと、「書いてはいけないこと」が存在し続けるのだらう、と思ふ。

きっと、かういふのが屁理屈太郎なのだらう、と思ふ。

しおん日々想 「ダブルベッド」

相田しおんさんに賛成。なんだか切なくて涙がでさうだ。世の中には子供を欲しがる人が大勢ゐる。私は自分が結婚するまで知らなかつたのだけど、そりやあもう、驚くほどの人たちが、驚くほど切実に、子供を欲しがる。自分が欲しがるのは勝手だけど、親類縁者にまで「あんたも欲しいでせう、欲しがりなさい、欲しがれよホラ」とか言ひ出す。まつたくひどい世の中だ。

結婚までは素振りすらなかつたのに、結婚したとたんに「子供、子供」と言ひ出す人を、たくさん見てきた。その度に私はうんざりした。相田しおんさんの彼氏のかたや、その親戚のかたがたが、そんな風になりませんやうに。

リンク

久しぶりに似非雑文日記を書いてて、横浜太郎さんのリンク集のことを思ひ出した。横浜太郎さんは、雑記草の左手に関する文章(→030227)を不快に感じ、一時的にリンクをはづしてらつしやる。今日見たら、まだリンクは死んだまま。まだお怒りなのか、単に忘れてらつしやるだけなのか。もうすぐ一年。

気づいてしまつた

そもそも似非雑文日記は、→雑文の友がテストしてゐる間だけ、といふことで始めさせていただいたのですが、実はもう半年近くもテスト中であることに、今、気づいてしまひました。そろそろ逃げ出さうかと思ひ始めました。