コメントありがたうございます

shiro さん、コメントありがたうございます。とりあへず前半部分を引用します。

shiro 『(略)ちとポイントがずれているように感じます。まず、もともとの「バッドノウハウ」は別にけなし言葉ではないということ。(略)』

まづ、バッドノウハウはけなし言葉だと思ひます。→バッドノウハウと「奥が深い症候群」から、けなし言葉だと考へる根拠(強調部分)を列挙します。

第 1 段落より。ここは特に説明の必要もないと思ふ。

計算機を使っていると、何でこんなことを覚えないといけないのだろうか、とストレスを感じつつも、それを覚えないとソフトウェアを使いこなすことができないためにしぶしぶ覚えなければならない、といった類いのノウハウは多い。そうした雑多なノウハウのことを、本来は知りたくもないノウハウという意味で、私はバッドノウハウと呼んでいる。

第 2 段落。「改善は行なわれないまま」とあるのはつまり、「バッドノウハウは改善されるべきこと、つまり良くないこと」と云ふ考えの表はれだ。

バッドノウハウは、ソフトウェアの複雑怪奇な仕様が歴史的に引きずられ、根本的な改善は行われないまま、そのノウハウが文書によって受け継がれることによって蓄積が進行する。Unix 上で広く使われているツールとしては TeX, Emacs, sendmail, bind, perl, gnuplot, procmail などは、役に立つツールであると同時に、その複雑怪奇な仕様によって長年に渡ってユーザを苦しめ続けバッドノウハウの温床として悪名が名高い。こうしたツールに関する書籍や Web 上の情報などの充実は、バッドノウハウが文書によって受け 継がれていくという性質をよく表しているといえる。

第 3 段落。「はびこる」以外は、さういふものもあるが根が深いわけではない、と云ふ雰囲気の文章なので、特に気にしないことにする。

バッドノウハウはびこる大きな理由は、ソフトウェアの開発者に使いやすさに対するセンスを欠如していたり、場当たり的な機能拡張が度重なって行われたり、単に開発の手を抜くために実装が楽なように仕様を決めてしまうといったところにあるが、別の理由によるものも根深いと私は考えている。それは、そういった使いにくいソフトウェアを使いこなす事に対して、「奥が深い」といって喜びを見出す「奥が深い症候群」によるものである。

第 4 段落は飛ばして、第 5 段落。

本来使いにくいソフトウェアが長年に渡って「奥が深い」定番としてありがたがられ、そのバッドノウハウの習得にユーザが不毛な時間を費やすことを強いられれるのは、この「奥が深い症候群」に根深い原因があるのではないかと考えている。

これだけ否定的な言葉を使はれてゐるのに、けなし言葉でないと考へるのは不自然だと思ひます。

shiro さんのコメントを、今度は後半部分を引用します。

shiro 『(略)それから、TeXバッドノウハウという文脈では、問題になっているのは組版の機能やアルゴリズムではなく、それを実現するにあたってのマクロ構文の設計なんではないかと。』

バッドノウハウと「奥が深い症候群」では、特にマクロ部分を取り出しての記述はありません。shiro さんは、どうしてマクロ構文の部分だと考へたのでせうか。

また、仮にマクロ部分を問題にしてゐるのだとしても、私の考へには何ら影響はありません。「強力なマクロ機能」は自動組版処理には必須です。