下条さんに見つかつた

くだらな日記の 1 月 11 日に屁理屈太郎の名前が。見つかつてしまひましたか。と言ふか、その、まだ見つかつてゐなかつたとは……。素直に驚きました。

雑文日記を書いていたのですね。

ちやうど止めたところです。すいません。

その中で「こういう雑文はよくないと思う」と書かれていることのほとんどが私の駄文に該当することがわかり、面白かった。

「よくない」とか、そんな否定的なこと、書きましたつけ? とか、とりあへずシラを切つてみる屁理屈太郎。あらためて読み直してみると、書いてる書いてる、暴言吐きまくり。すいません、すいません。

書いてる本人も忘れてゐるやうなことですので、皆様、どうぞ気になさらずに。個別にご意見いただければ、個別にお返事いたします。

私の駄文は雑文から分化して独自の方向に進化していかないものかとひそかに願っている(願っているだけで努力はしない)折でしたから。

この↑文章、格好いいなあ。

しかしなんだってわざわざ旧仮名遣いにしたのでせう。他にも何人かそういう人がいるけれども、その意味がわからん。本気でアッチの方が書きやすい妙な人種なのか、そちらのほうが美しいと信じているのか、それとも衒っているだけなのか。

私の場合は、練習です。趣味です。書籍で覚えてもピンとこなかつたので、ためしに実際に使つてみてゐます。ピンときたかどうかは不明ですが、とりあへず、それなりに操れるやうにはなつて来ました。わりと楽しいです。

趣味でやつてゐることなので、当然、「美しいと信じて」ゐます。草野球をやつてゐる人が「野球は楽しい」と信じてゐるのと同じくらゐには、信じてゐます。ある意味「衒(てら)つて」ゐると思います。なにしろ趣味でやつてるわけですので、そのくらゐは構はないかと。

言葉 言葉 言葉(→闇黒日記のはうが有名?)の野嵜さんのところには、きちんと主義主張があります(→私(野嵜)の假名遣に關する考へ方)。私は賛同するわけではありませんが、反対もしてゐません。強ひて言ふらなら、「考へ中」です。