血を見る

血が苦手、といふ人がゐる。血液檢査とかで血を拔かれるときに、目をそむけたり、ギユツと目をつぶつたりする。

つまり「見るのも嫌だ」といふことだと思はれる。逆に言ふと、「見なければなんとかなる」といふことでもある。

ちよつと待てよ、「見なければなんとかなる」だつて?

見なくても、針を刺されれば痛いので、血を拔かれる瞬間は、はつきり認識できる。もしも全然痛みがなくて、知らぬ間に終はつてしまふなら、「見なければなんとかなる」のだらうが、血液檢査はさうぢやない。

目をつぶるなんて、無意味だ。をかしい。ちやんと目を見開いて、現実を正しく認識すべきだ。それが人として正しい姿だらう。

……といつたことを考えてゐる間に、どうやら血を拔く作業は無事終了したみたいだ。ああ良かつた、今日もなんとか血を見ずにすんだ。

何かちよつと作りたい欲

apkz2006-02-03


「何かちよつと作りたい欲」が出てきたことに氣付く。本格的な創作活動ぢやなくて、ちよこつと何か、片手間に作つてみたい。

でも、作るべき適切な何か、を思ひつくことができない。むむ……。

昔を振り返つてみると、父親の屁理窟を書き始めたのも、この「何かちよつと作りたい欲」のせゐだつたと思ひ當たる。ああ、さうだ、雜文速報のときも、さうだつた。日常の屁理窟を獨立させて別の CSS を作つたときも、さうだつた。

あの頃は、HTML(CSS)やらスクリプトやらをいぢつてゐるだけで、「何かちよつと作りたい欲」が滿たされてゐたなあ。

最近は、ブログやら何やらが普及して、何にもしなくてもウェブに文章が流れていく。何もしない、何も作らないので「何かちよつと作りたい欲」は滿たされないまま。自分でブログ相當のものを作ればよいのかもしれないけど、既にあるものを作るといふのは、なんといふか、その、馬鹿げてゐるやうな氣がして、やる氣が出ない。

何かちよこつと作りたいんだけどなあ……。我ながら、なんとも煮え切らない。