寛容になれない屁理屈太郎
なんと言ふか、その、「書いてはいけないこと」と云ふのがあるやうな気がしてゐる。一般論ではなく、非常に個人的な、屁理屈太郎だけの世界の話だけど。ウェブを徘徊してると、この「(屁理屈太郎の考へる)書いてはいけないこと」を書いてゐるサイトがあつたりする。
さうすると、屁理屈太郎の中で、そのサイトの評価が少しだけ、カタンと小さな音をたてて、落ちる。確実に落ちる。
この落ちた分は、屁理屈太郎の中では、決して挽回されることはない。ほんの少しなんだけど、ずつと消えない。他の部分がどんなに優れてゐても、落ちた分のマイナス評価が相殺されることはない。屁理屈太郎は何かの拍子にふと「ああ、さういへばこのサイト、以前『(屁理屈太郎の考へる)書いてはいけないこと』を書いてたなあ」とか思ひ出す。
自分でも、「もつと寛容になるべき」とか「欠点を責めても何も生まれない」とか思ふ。
でも、それでもやつぱり、「書いてはいけないこと」は、あるんぢやないかと感じてゐる。屁理屈太郎の中には、これからもずつと、「書いてはいけないこと」が存在し続けるのだらう、と思ふ。
きっと、かういふのが屁理屈太郎なのだらう、と思ふ。